芸陽堂について

小麦粉煎餅の芸陽堂
店舗営業日・定休日

スクロールできます
曜日
10:00〜18:30
※定休日:水曜日・日曜日、お盆/年末年始は不定休

115年受け継がれてきた広島の小麦粉煎餅屋について

1911年(明治44年)広島の地に生まれた煎餅屋。
戦火を越え、原爆で焼け野原となった街の中でも、その味と技は受け継がれてきました。

廃業と継承を繰り返しながら、先代の職人が守り続けた手焼きの技が、今日も吉島の地に息づいています。
一口食べると、子どもの頃の記憶や、あの日の風景がふっとよみがえる。そんな煎餅を、広島からつくり続けています。

全国菓子飴大品評会(現・原爆ドーム)
全国菓子飴大品評会・頼山陽煎餅展示(中央)
大日本職業別明細図 大広島市(昭和14年)

頼山陽煎餅の広告
昭和14年(1939年)発行の
大日本職業別明細図・大広島市。
その中央下部に「頼山陽煎餅 本舗芸陽堂」の
広告が掲載されています。

創業から30年も経たない頃から、
広島を代表する菓子として
広く知られていたことがわかります。

手仕事へのこだわり

生地を混ぜる手の感覚、型に流し込むときの加減、火の前で見極める焼き色。
芸陽堂の煎餅は、すべての工程を職人の手と目だけで判断しています。

頼山陽煎餅は、創業以来変わらず「一丁焼き」で製造しています。
一つの型から一枚しか生まれない、効率とは無縁の製法です。
9つの型をひとつひとつ丁寧に回しながら、一枚一枚を焼き上げていく。
その手間と時間が、あの懐かしい味をつくり続けています。

三代目 平室賢の製造風景

受け継がれてきた型と道具を現在でも使い、今日も変わらぬ味を焼き続けています。

看板商品「頼山陽煎餅」

サクッと軽い食感、口に広がる卵のやさしい甘さ。
頼山陽煎餅は、余計なものを一切加えない完全無添加で、素材本来のおいしさをそのまま届けています。
地域の人々に長く愛され、全国菓子博覧会での受賞歴も持つ、広島を代表する銘菓です。

芸陽堂の頼山陽煎餅

頼山陽とは

江戸時代後期に広島で生まれた儒学者・歴史家。
著書「日本外史」は幕末の志士たちにも広く読まれ、広島を代表する偉人のひとりです。
芸陽堂はそんな頼山陽への敬意を込めて、この煎餅に名前をつけました。

頼山陽史跡資料館(史跡頼山陽居室)
頼山陽先生像

芸陽堂の歩み

戦火を越え、焼き続けた115年。明治44年(1911年)の創業以来、原爆による被災も乗り越え、
四代にわたって受け継がれてきた芸陽堂。2023年に一度幕を閉じましたが、2024年に新たな場所で再び歩み始めました。

スクロールできます
西暦出来事
1911年
(明治44年)
創業広島・塩屋町(現中区大手町)
「ねぼけ堂」として創業(初代:村田安藝)

※左側が村田安藝氏
1938年
(昭和13年)
命名評論家・徳富蘇峰が煎餅を食べ「芸陽堂」と命名
※当時の店舗
1945年
(昭和20年)
廃業①・被災戦況悪化による物資不足のため廃業。原爆で焼け野原に。
1952年
(昭和26年)
再出発平室勝三が屋号や製法を引き継ぎ
広島市中区堺町にて継承

※境町の店舗
1957年
(昭和32年)
受賞の歴史第14回全国菓子第博覧会において、
頼山陽煎餅が名誉大審査大賞を受賞。

※三代目 平室賢
2023年
(令和5年)
廃業②店主の高齢化や店舗の立ち退き要請もあり廃業
2024年
(令和6年)
新たな継承株式会社ナガツキが吉島に移転・継承。
115年の伝統を次の世代へ

※現在の芸陽堂外観

受け継ぎ歩む

2024年、芸陽堂は新たな担い手のもとで再び歩み始めました。
115年分の記憶と、広島の人々との縁を胸に、
まだまだ未熟な部分もありますが、地域の皆さまに教えていただきながら一歩一歩前に進んでいきたいと思っています。

手に取ってくださった方の笑顔が、私たちの何よりの励みです。
これからも広島の皆さまとともに、一枚一枚丁寧に焼き続けていきます。