頼山陽・日本外史・受験から考える「学ぶとは何か?」

頼山陽の生き方は、学ぶことや努力することの意味を、
今の私たちにも問いかけているように感じます。

受験シーズンになると、学ぶとは何か?努力とは何か?を
改めて考える方も多いのではないでしょうか。
歴史を通して、その本質に少し触れてみたいと思います。

そのような「学び」を語るうえで、広島には欠かすことのできない人物がいます。
それが、江戸時代後期の儒学者・歴史家 頼山陽 (らいさんよう)です。


目次

頼山陽とはどんな人物だったのか?

頼山陽は1780年に生まれ、幼い頃に広島へ移り住みました。
学問の家に生まれ、少年時代から学問や詩作に優れていたと言われています。

14歳の頃にはすでに詩を作り、学者たちの注目を集めていました。
そして江戸に遊学し、本格的に学問の道へ進みます。

山陽の人生は、決して順風満帆ではありませんでした。
若い頃、家や藩の意向に背く行動をとったことで、家の中の座敷牢に幽閉されます。

しかしこの期間こそが、彼の人生最大の転機になりました。
外に出られない数年間、山陽はひたすら学び、書き続け、
後に代表作となる歴史書『日本外史』 の草稿を書き上げます。

この本は、完成までに20年以上かかりました。


『日本外史』とは何だったのか

『日本外史』は、
源氏・平氏から徳川までの武家の歴史を描いた大著です。

読みやすく、力強い文章で書かれ、
幕末の志士たちにも大きな影響を与えました。

さらに、山陽の歴史観や思想は、後の明治維新へ向かう若者たちの精神的支柱にもなったと言われています。


「学ぶこと」で自分の道を切り開いた人

山陽は、武士として出世する道ではなく、学問と文章で生きる道を選びました。
仕官に頼らず、自分の力で塾を開き、歴史を書き、思想を発信し続けました。

今で言えば、
「知識と発信で生きていく人」だったのかもしれません。


「受験」と「人生」の共通点

受験は、ただ試験に受かるためのものではなく、

・考える力
・積み重ねる力
・自分を信じる力
を育てる時間でもあります。

山陽もまた、
人生の中で挫折を経験しながら、
学ぶことで自分の道を切り開いていきました。


芸陽堂として思うこと

芸陽堂もまた、
長い時間の中で受け継がれてきたものを大切にしながら、
今の時代に合う形を模索しています。

学ぶことも、ものづくりも、一朝一夕ではできません。

受験に向かう皆さま、そして何かに挑戦している皆さまを、心から応援しています。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次